横須賀市の歴史

横須賀の名前の由来
市名は、須賀(砂地、砂浜)の横を意味することから横須賀という地名になったと言われています。
横須賀市は、神奈川県南東部、三浦半島の中央部に位置し、北東部と浦賀半島の沿岸にリアス式海岸が発達し、内陸部は丘陵性の台地や谷が多くあります。東京湾の入り口に存在することから横須賀港の軍港都市として栄え、戦前は軍港でしたが、戦後は平和産業港湾都市へ転換、現在では海上自衛隊自衛艦隊とアメリカ海軍第7艦隊の司令部が置かれています。


横須賀の歩み

三浦半島には約2万5,000年前の先土器時代または旧石器時代の人が住んでいた形跡が残っているそうです。

縄文時代は自然資源の採集に依存していたため、資源が枯渇していきますが、コメを栽培する技術が伝えられてから稲作が行われるようになります。農耕は次第に定着して、多くの古墳が造られ、現在もこの地域に多く残っています。


平安時代後期から戦国時代にかけて、三浦半島で勢力をふるっていたのは三浦一族でした。三浦一族は、桓武天皇の皇子の子孫の流れをくむ村岡為道がはじまりと言われています。為道は三浦半島の中央部に城を築き、源氏と深いつながりを持ち、相模国で勢力を伸ばします。源頼朝が鎌倉幕府を開くと、三浦一族は、幕府の中でも北条氏と肩を並べるほどの勢力を持ったものの、北条時頼の謀略により、一族はほぼ滅亡してしまいます。その後、三浦半島は北条氏が支配していましたが、豊臣秀吉に滅ぼされ、以後、徳川家の領地となりました。

江戸時代に入ると、江戸の発展に伴い、国から船によって物資が運ばれるようになると、浦賀に奉行所を置いてここで船を検査する体制が建てられます。 そして1853年7月8日、アメリカ合衆国東インド艦隊司令長官M.C.ペリー提督が浦賀沖に来航しました。はじめは鎖国を守っていた幕府も、時代の潮流には抗しきれず、鎖国を解き、下田、函館の2港を開港します。

幕末になると、外国に対抗するため海軍の重要性が強くなり、横須賀製鉄所の建設が始まります。ここで小栗上野介忠順(おぐり・こうずけのすけ・ただまさ)らやヴェルニーの活躍により、日本の造船技術が飛躍的に上がりました。


1907年、市制が施行され、横須賀市が誕生します。このときの人口は、62,876人でした。1916年には、海軍航空隊令が発布され、横須賀海軍航空隊が追浜に置かれました。飛行場を作るために海岸を埋め立てたため、夏島は現在のように陸続きとなります。
これまで軍港として栄えてきた横須賀市ですが、終戦後、連合国軍が横須賀に上陸し、旧鎮守府に在日米海軍司令部が置かれるなど進駐が進められ、存立の基盤を失い、横須賀市の人口は激減しました。ここから横須賀市は平和産業港湾都市としての発展を目指すこととなります。その後、1977年に人口40万人を突破し、見事な発展を遂げ、現在は新たに「国際海の手文化都市」を目指してさらなる発展を続けています。


よこすか海軍カレー

日本で食されるカレーのルーツは
明治時代に始まった「海軍カレー」。
海軍ゆかりの地・横須賀では明治期の海軍レシピ・海軍割烹術参考書をもとに当時の味を再現した「よこすか海軍カレー」が広まってからカレーの街横須賀のイメージが定着したといわれています。

よこすか海軍カレーは、日本のカレーライスのルーツであることから、基本的には「レトロ」、「昔なつかしいカレー」を特色とする。 原則は、海軍割烹術参考書(明治41年)のレシピに基づき調理したものであるが、下記の条件をクリアしていれば「よこすか海軍カレー」の名称を使用できることとするらしいです。

■よこすか海軍カレーオフィシャルサイト
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/curry/

 


どぶ板通り

「どぶ板通り」は横須賀市本町1丁目・2丁目・3丁目付近の国道16号と平行して並ぶ道路一帯が、そう呼ばれます。

150~160軒ほどの商店・飲食店でひしめき合っていて、通称「どぶ板通り商店街」
正式には「本町商店会」なのです。

どぶ板通りの歩み
明治から大日本帝国海軍横須賀鎮守府の門前町として栄えて、戦後は進駐軍・在日アメリカ軍横須賀海軍施設の兵隊向けにスーベニアショップ(土産物店)、肖像画店、バーや飲食店、テーラーショップなどが多く、その頃と比較すると今は日本人若者向けのアパレルショップ・美容院・アクセサリショップなども増えています
横須賀ならではのスカジャン専門店やミリタリーショップなども観光客に人気がある。

アメリカと日本の文化が融合した独特の雰囲気を持つ商店街で、年4回開催される「どぶ板バザール」が有名なイベントです。

米兵の間ではどぶ板通り一帯のことを「ホンチ」「ハンチ」などと呼ばれているみたいです。

 



猿島

 

日蓮上人上陸の地
建長5年(1253年)4月のこと、日蓮上人が上総(現在の千葉県中部)からかまくらへ船出したところ、急に天候が悪化し、船は荒波にもまれ沈没寸前となりました。
日蓮は舳先に立ち、海の神様である龍に題目を唱えました。

すると不思議なことに大きな龍が出現し、あたりはウソのように静けさを取り戻したのです。
日蓮は猿島に流れ着き、その時現れた白猿の導きによって、現在の米ケ浜に無事上陸できたといわれています。
この伝説に因んで「猿島」と名づけられたようです。

http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/sarusima/saru2.htmlからの引用です。


行政

横須賀市役所

学校・病院

神奈川歯科大学

観光・商業・文化施設

三笠公園 – 隣接する三笠桟橋から猿島行きの連絡船が出ている。

郵便局・金融機関

横須賀郵便局

交通施設

横須賀港

その他

海上自衛隊横須賀地方総監部